【閲覧注意】何故人を殺してはいけないの?
「なぜ人を殺してはいけないのか?」の疑問には誰も答えられない - はてな村定点観測所
この記事を読みまして、思う所があったので全力で便乗。
…釣り、じゃ、ない…よね?
まぁ、以下は私の考え方という事で…ひとつのノイズとして受け取って頂ければと思います。
私は一般的見解で考えると、かなりの『悪趣味』である。
殺人鬼や、拷問、死刑、処刑、果ては特殊性癖や奇形など、ありとあらゆる『バッドテイスト』は目につく範囲ではあるが取り込んできたつもりだ。
グロ耐性は(多分)相当なものではあるし、時折であるがそういった画像を見たくなる事もある。事故写真、何かの事件の被害者、奇形、エトセトラ。良くもまあ、こんなにも悪趣味な写真がどこにでも落ちているものだと感心する。良い時代だ。
まあ大体、『検索してはいけない言葉』から適当に探せば見つかるので苦労はしない。特にNGなものも無いし。唯一にして最大のNGは、画像を探そうと思わない限りなかなか見ることはないので安心だ。
さて、そんな私ではあるが、人を傷つけることが嫌いである。
グロ、リョナ、そういったものを好む人種は、(自称にしろ他称にしろ)サディスト的性癖を含むのが通説であるだろうが、私にはそういった欲望が一切無い。寧ろ、人の怪我を見ると背中が嫌な意味でゾクッとしてしまう。
何故かはわからない。真剣に考えてみた事はあるが、『私は完全な傍観者である事が好きなのではないか』という、一応の結論に達したが、確定的ではない。野次馬。悪趣味の極みである、事故現場の写メを撮るような人種。
そういう訳で、私は人を殺してみたいとは全く思わないし、偶然にも事故や殺人の現場に出会したとしたら…匂いで噎せ返って嘔吐してしまうだろう事は想像に難くない。つまり、実際にそんなところに遭遇したりはしたくないのだ。
で、本題。
『何故人を殺してはいけないのか』
私が7年前に達した結論は。
人にされて嫌なことは、してはいけません。
そんな基本的な事だった。
殺される覚悟があるなら、殺せば良い。盗まれる覚悟があるなら、盗めば良い。
それと、『割れ窓理論』をご存知だろうか。
窓が割れたまま放置していると、「この地区は”こういう”地区なんだ」と思われて、段々治安が悪化していくという。
文化的な生活を送りたいなら、もういっそ『人が不快になる事』は禁止してしまった方が手っ取り早い。
そういう事だと思います。
人を殺したい、と切に願った事はありますか。
私はあります。
しかし、冷静に計画など練っているとどう足掻いても殺せる見込みは無く、殺した場合の処理なども視野に入れなければいけない事に気づくのです。
血が飛び散るから、後処理の事を考えてリビングでは殺せない。だったら風呂場だ。風呂場? 風呂場で殺すとしよう。そうして、どうやって隠蔽する? 恐らく解体には時間がかかるから、まず血抜き。…下水管をルミノールされたら終わりじゃねぇかクソ、洗面器に溜めて庭に捨てるか? めんどくせぇ。……果てしなく、めんどくさい。
そこで私は殺すことは一旦保留にし、耐え忍ぶ日々を送る事で、小さな事がきっかけで脱却できました。
ここでもし殺していれば、今の私はいなかった。
そして、もし人を殺しても良い世界だったら、私は躊躇い無く実行に移し、あっさり返り討ちにあって死んでいただろう。
『人は殺すのは難しいが、簡単に死ぬ』
どこで聞いたか忘れましたが、この言葉を胸に、ドス黒い感情を殺して生きていきましょう。それが得策に思えます。場合にもよるでしょうけれど。
ああ、快楽殺人、カニバリズム、こういった性癖はもうどうしようもないので勝手にやっちゃってくださいって感じです。
勿論、自分が返り討ちにあったり、法で裁かれる事を覚悟した上で。
あなたは殺す事が好き。でも殺されたくはない、罰を受けたくない。そんなわがままは許されません。
人肉を食べたいなら、あなたも食べられる覚悟を持ち。
興味本位で人を殺したいなら、あなたも同じ事をヤラれ返される覚悟で。
まあ、実際にはそんな覚悟を持って殺人に及ぶ人なんていないでしょう。
だからこそ、裁く。罰があれば、犬でも躊躇う。そんな感じで、『人を殺してはいけない』と定められているのでしょう。
こういう記事書いてると、
或る意味、この世界自体がバッドテイストだなぁ
と思います。戯言です。ちょっと言葉では表せません。未熟で申し訳ない。
そんな感じです。
気分が悪くなったら申し訳ない。ではまた、気が向いたら。